存在証明を言の葉にのせて

ありふれた日常を物語に。

日々の生活で気が付いた自分の価値観

 

最近の生活で自分の価値観を中で最も大事にしていることは、“人に迷惑をかけない”ということに気が付いた。

これは、自分がよく見られたいという八方美人的なとこから派生して生まれたものだと思う。人に迷惑をかけるということは、それだけ相手の信用を失うことにつながる。これはいい恰好をしたい私にとっておおきな痛手であった。だから私は、自分の行動、発現に責任をを持って生活してきたつもりである。最近になって、もしかしたらこの考え方はは、社会で生きていく上ですごく大事なことではないだろうか?と思う出来事があった。

研究室では様々なルールがある。中にはまじめにやっている人が馬鹿を見るようなルールもないとは言い難い。しかし、だからと言ってそれをやらなくていい理由にはならない。ある後輩は、そのルールを守らず自分の意見だけを主張してくる。「私だけやるのはおかしい。みんな平等にしろ。」と。確かにそうかもしれないが、だけどそれを守ってもいない人が主張するのはお門違いである。

これも後輩の話だが、彼らは自分たちの価値観や常識が全てだと考える節がある。自分たちの意見が正しいんだと言わんばかりに、こちらのルールは守ろうとしない。かといって、こちらが譲歩すると調子に乗るし、最終的には自分たちの主張すら守ろうとしない。自分たちの発現に責任を持てないのだ。さらに面倒くさいのが自分の意見を持たない連中がこのようなやつらに流されることだ。多数決で物事が決まる世の中ではこれが一番やってはいけないことだと思う。全体が誤った方へ動いてしまうからだ。意見がないなら中立を貫き通してほしいと思う。

このように世の中にはいろんな人がいる。それは、育ってきた環境や、今までしてきた経験が違うから仕方のないことであるし、人間の面白いところでもある。後輩のような人たちに分かってほしいのは、自分が全てだと思わないでほしいということ、どんな思想を持っていようが勝手だが、それを押し付けないで欲しいということ、何か主張するなら、そのコミュニティでのルール、一般的な常識を守ったうえで主張してほしい。そして、意見した後もその発現・行動に責任を持ってほしいということだ。話を最初に戻すと、無責任な発言・行動をすることは相手に迷惑を与える。そんな人の意見なんて誰が聞こうか?周りの信頼を築き上げていくことが、自分の主張を聞いてもらえるきっかけになるのではないだろうか。そして、きちんとその意見も受け止めてもらえるだろう。

とにかく、後輩たちよ、私の生活のペースを乱してほしい。干渉してくるな。そんな風に思う私もわがままなゆとりっ子なのだろう。